左官一服噺  技術の伝承○石州左官(sekishyu plastering group )111

 

明治の裁判法廷風景(大津事件)

明治以降、左官の歴史で集団体制を布く組織は、日本の各地に点在します。組織のなかに、名人と呼ばれる親方・職人の存在があり、建築物に付随する装飾や扁額の鏝絵の作者として名を残すこと人が多くいます。
代表される地域と名人に、岩手県南端に位置する陸前高田市を中心とする「気仙左官」で吉田春治や、その後輩の金野清一がいます。
富山県小杉町では「小杉左官」、「小杉かべ屋」と称され、竹内甚太郎、源造親子が有名です。

島根県に前者の二つの集団より、遥かに呼び名の高い『石州左官』と呼ばれる左官の一団がいます。石州左官には多くの名人たちがいましたが、その中であえて名をあげるとすれば松浦栄吉、栄太郎親子、井沼田助四郎等になります。そして、この地の出身である左官親方は金筋とも呼ばれ、現在でも全国各地で建築業界の中枢者として活躍しています。

石州での鏝絵技術は松浦栄吉、栄太郎親子、井沼田助四郎に代表されると先述しましたが、彼らの技法は現代にも継承され、多くの鏝絵作家が存在します。中でも品川博氏、松浦満行氏の誉れが高く評価されています。
関西大学の漆喰鏝絵は『明治の裁判法廷風景』を品川氏が、『大阪天神祭』を松浦氏が中心となり大壁画を完成させています。

洗出し仕上げの方は、石州の松浦栄吉が洗い出し人造研ぎ出しなど「松浦式人造」を開発しましたが、戦前に石州の左官たちは、満州、朝鮮半島に馳せ、活躍していました。この歴史的事実は『現在でも石州左官が携わった多く建築が使用され、左官仕上げは色あせずに再見できる。』という建築学会での報告書もあり、石州左官の仕事の『良さ』の証とも取れます。早稲田大学大隈講堂復元工事での洗出し仕上げは、同じくして石州出身の竹下勝美氏が工事全般の采を振って完成させています。
このように伝統的技術を伝承させることは、まず、それに伴う仕事が必要で、そこでの弟子に対して親方、兄弟子からの手ほどきが重要な要素となります。
両大学で左官工事の伝統技法を再現できたことは、次を担う若手職人に取って励みになるとなり、技術・精神の両面において上向きのベクトルともなります。伝えなければならない左官技術は、日本の伝統的伝承法に導かれることが大であります。
例えば、我が国伝わる、伝承法のひとつに、『守・破・離(しゅ・は・り)』という言葉があります。これは、技術を身に付ける過程における順序を表すものです。まず、第一過程の『守』とは親方・兄弟子の教えを守り、基本を大切にすることであります。これを『真(しん)』と唱えます。第二過程の『破』は親方・兄弟子から学んだ技能をより高め、それを自分で熟し、さらに他の左官名人から学ぶ過程にあります。『行(ぎょう)』であす。第三過程の『離』とは自分の技能を体系化させ、独自の工法を確立させて技術化させることにあります。『草(そう)』です。
関西大学校友会の会館ホールでの大壁画の企画・製作は、日左連相談役の阿食更一郎氏によるもので、技術伝承法に伴って現代建築に応用させてのプロデュースでもあります。これら一連の仕事の過程は、左官全体の心・技・体を高め、さらに磨き上がらせた真実でもあり、今後、左官技術の座標軸の原点ともなるものでもあります。

杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。電話03-3398-4335 http://s-kent.jp/contact/

 

 

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