左官一服噺  職種○煉瓦職(Brick works )92

上:桃型・ハート型  下:おかめ型・お福型

上:桃型・ハート型  下:おかめ型・お福型

幕末に煉瓦(れんが)が輸入された当初、どの職種によって施工させるか問題となりました。煉瓦は、鏝を使用しての積み上げる工法であるため、その類似性から、左官が施工することになりました。

慣れない作業であったにも関わらず、当時の左官職人は四寸のお福柳刃で、煉瓦を手早く積み上げたといわれています。その後、外国から煉瓦積み専用の鏝が日本に輸入されると、その煉瓦鏝がお福柳刃に類似していたので、日本の左官職人が驚嘆したといいます。

煉瓦鏝は、現在でも1号から5号に分類されています。我が国の鏝の名称として使用されている「○焼の○寸の○鏝」というものでなく、このことからも外来の鏝であることが分かります。

煉瓦鏝は、洋鏝の一種であり、輸入されたものは、桃型またはハート型と呼ばれるレンガ鏝と、おかめ型またはお福型と2種類に分けられています。両型とも、大きい方から1,2,3,4,5号と区別されています。 

藤井平太郎著の「先祖代々江戸の土をこねて」を参考にすると、煉瓦職人は新しい職種であるため、武士階級、旗本の次男、三男が手元、あるいは本格的に弟子となって入職し、「手に職を付け」、独立していきました。一方では、左官職から分離して、本格的煉瓦業を営むようになりました。また、江戸期から明治にかけて、大名屋敷に奉公する下級武士の逸話として、当時、下級武士は建築現場で作業し、足し前を得ていたといわれています。

伝統的に土工、左官手元が多かったと思われますが、彼らは大小の脇差しを親方に早朝預け、半纏に着替えて左官材料を担いで、現場に向かったといいます。その際には大名屋敷の現場は、拒否して、町場現場の手伝いに行きました。

夕方近く自分の屋敷に帰らなくてはならない時刻になると、作業途中でも親方の家にもどり、そそくさと一日の日当を貰って帰っていったそうです。

このようにして、多くの武士が明治以後に発生した、タイルやレンガという新しい職種へと、転向が多かったと見られます。

杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。電話03-3398-4335    http://s-kent.jp/contact/

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