左官一服噺  構法○江戸期の土蔵構法(Edo Period Dzo construction systems)93

世田谷治太夫堀公園の穀蔵

世田谷治太夫堀公園の穀蔵

歴史のある街を訪れると、様々な表情をした土蔵が存在します。時代を経て土蔵を改築されてきたものもあるだろうが、建立当時からの姿であると確認できると新たに感嘆することがあります。

土蔵の役割は、ものを収納し、収納したものを火災から守ることが一番です。収納物の安全性を担保するには、当然、多くの工夫がなされてきていました。

また、特色あふれる日本の風土、習慣という環境下での土蔵の果たした役割によって、土蔵の文字が異なります。例えば、

倉: くら、こめぐら、穀物を蔵う、方形のもの、一説には邑にあるもの。

口禾: こめぐら、円形のもの

府:くら、朝廷の文章または財貨を蔵うくら

庫:くら、兵車を入れておく所、転じて広く楽器、祭器、文書くら

庚: こめぐら、家根のない倉、一説には野にあるくら

こめくら、穀蔵を倉、米蔵をという。一説には邑にあるをいう。

牢: くら、こめぐら。

蔵:くら物品を収めて置くところ、おさむ、たくわう、かくす、たくわえておく所 

江戸期の建設された土蔵構法は、次のようなものでした。

「一般的な土蔵といわれるものは,桁行4間(約7.2m)、梁間2間半(約4.5m)、高さ18尺(5.4m)、二階建てで、建坪が10坪(33㎡),総延べ坪が20坪(66㎡)であります。

建築途中の足場は、桁行側2段、妻側3段で棚足場です。足場材が丸太、杉丸太で、結び材が藁縄を使用されていました。

土蔵を造る木材は、榧(かや)の木が最もよく,二番目には檜(ひのき)です。壁に使用する白土が最高級品で、殻(かいがら)や蜆貝(しじみがい)の殻を焼いて石灰(いしばい)に混ぜて使用します。鼠壁(鼠漆喰)にするときは、灰炭を混ぜて冬には酒を少し加えていました。

戸前は常に開いているので、手先部分が下がらないように常にかい物をし、1年に間には2~3階開け閉めをし、調子をよく見ることが肝要です。また、戸前を接続する肘壺(ひじつぼ)が腐ったり、手先が下がるようでは火災の時に用をなしません。

土蔵の入り口の扉を付けるための柱である、実柱(さんばしら)は、薩摩から産出する黒杉を使用すると、腐らず戸前が重くても狂うことがありません。

土蔵の床を高くすると火災の時にに諸事に関して時間がかかり、また普段諸道具の搬入、搬出の際に道具を壊す恐れがあるので薦めらません。

土蔵の戸前は難しいので上匠(禄を受けている左官)に任すべきで、やり直しがききません。また肘の部分は、かつて一釣りでありましたが、江戸期にはすでに二釣りが一般的になっています。二釣りは、耐久性がありますが、釣鐵が分厚くなってしますため鍛冶司に造ってもらわなくてはなりません。

鉢巻(はちまき)部分は、火災の際に、この部分で火が止まり、軒口から火が進入することあるので、適度な高さと深さを考え無くてはなりません。

鉢巻はよく乾さなければならないため、夏のころまで柱を建てて、それから壁にかかります。このようにすれば、よく乾いて、秋の陽をあびて柱や壁下地が腐ることがありません。屋根の裏板は、栂(つが)がよく、松板を使用すると、乾いてくると腐ってしまいます。

扉は、油煙形がよく、丸輪の金物をつけて、庇に壺を打って常時細い紐を通してひかえておくと大風に、飛ばされずに壊れことがありません。」とあります。

杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。電話03-3398-4335  

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