左官一服噺  歴史○日本の土壁(にほんのつちかべ)(Clay wall of Japan)81

堪庵 京都茶室

堪庵 京都茶室

日本の住宅形態では、古代以来、二つの流れがありました。ひとつは、支配者層に属する住宅で、上流階級、貴族、武士といったものです。一例を述べれば吉田兼好の「徒然草」に書かれているように「家の作りは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き所わろき住宅は堪へがたき事なり」とあるように、夏の暑さを避ける高床で、開放的な住宅です。

一方で、農民、一般民衆の住宅では、夏の暑さより冬の寒さから身を守る方を優先したものです。建物全体を土壁で覆い、開口部を最小限にして閉鎖的建物としたものです。しかし古代以来、二の流れの住宅形態は、桃山時代に茶室建築で接触し、統合されていきました。

茶室建築は当初、上流階級から発生したものです。上流階級の住宅は、先に述べたように開放的な空間を基本としたものです。しかし、茶の主流が京都上流社会から、堺の町衆に移行していくと、庶民階級の生活環境を立脚した独自の閉鎖的茶室空間が創造してきたのです。

埴生の宿といえば万葉の時代以来のいぶせき住居の代名詞であります。これは、土壁の民家を文学的に表現したものです。その土壁の一種である荒壁仕立てや藁苆を表した民家の手法を数寄屋の中に逆輸入したものであす。数寄屋の土壁において初めて日本壁の純粋な美しさといわれるデザインになったのです。

草庵茶室に見られる文化はまさに日本文化の本性や日本人の精神性そのものに関わるものであります。そこで展開される造形の精神は、その後の日本民家建築の世界に広く反映されました。逆に、草庵茶室の創始者たちは、その造形哲学を広く民衆たちの生活の中から学び、消化させたといってもよいでしょう。

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