左官一服噺 歴史○三大左官集団(さんだいさかんしゅうだん)(Three great plastering population) 63
明治から昭和にかけて、特に優れた左官職人たちを輩出した地域があります。代表されるのが、宮城県の「気仙左官(けせんさかん)」、富山県の「小杉左官(こすぎさかん)」、島根県の「石州左官(せきしゅうさかん)」が三大左官と呼ばれていました。それぞれに、その地域独特の技能を持つ職能集団であり、出稼ぎを中心に全国各地にその名と功績を残しています。
現在、全国各地に彼らの仕事ぶりを伺い知ることができる建造物がまだ残っています。中でも、東京駅周辺には、国会議事堂や明治生命館を始めとする、石州左官が携わった多くの建造物が誇らしげに残っており、今なおその技を垣間見ることができます。
これらの左官集団は、明治から戦前にかけて、日本の国土を越え、旧満州、旧朝鮮、中国に日本の左官職人として渡り、彼らが現地での日本の官公庁や大きな商店建築に携わっていました。
特に、当時左官の神様と呼ばれていた石州左官の松浦栄吉が上海の日本領事館に携わりました。小杉左官の竹内源蔵は大連の朝鮮銀行などの内装、外装を手がけ高い評価を受けています。海外に遠征した左官職人たちは、海外での経験と広い視野の元で、帰国後に、国内で多様な左官技術を創作し、発展させていきます。
三大左官集団 |
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気仙左官 | 陸前高田市小友町が発祥です。江戸時代の農民が畑仕事の傍らに行ってきた建築仕事から独自の技能集団を創り上げました。職人の数が多く技術が多様です。 |
小杉左官 | 富山県小杉町には江戸時代から優れた左官が多く生まれました。土蔵造り、鏝使いで高い評価を得ています。白漆喰の鏝絵で名を馳せた竹内源造が有名です。 |
石州左官 | 島根県岩見地区が主な出身地です。山が背後に迫り、産業の少ない地域なため、出稼ぎを余儀なくされていました。出稼ぎで稼ぐために腕を磨いた石州左官は、各地で重用されました。洋風建築に工夫を凝らした技法も編みだし、西洋左官との名もあります。左官の神様・松浦栄吉氏が代表されます。 |
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