左官一服噺  建築部位○下地窓(したじまど) window unpainted 51

東北民家の下地窓

東北民家の下地窓

吉田兼好の『徒然草』第五十五段に「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へがたき事なり・・・」と、あります。ここに記載された建物は、高貴な人が住むものです。貧しい民衆の建物は、寒さや獣等の自然界の現象から身を守ることがもっとも重要な目的でした。

現代の日本では、吉田兼好が唱える開放的な建物が好まれるが、昔から、特に雪国の人々は夏の暑さよりより、冬の寒さから身を守る方が重要であったと思われます。人々は、石の上に柱を建てる石場建構造や、穴を掘って柱を埋め込む掘っ建て構造にして建てます。外周面は、藁縄や蔓で小枝を格子状に組み上げて「小舞」と呼ぶ壁下地を作ってきました。それに泥を塗って覆えば、強固な外壁となり獣からも身を守れます。しかし、全部塗ってしまうと、通風も採光もできません。そこで、壁の一部を塗り残しておけば、窓となって換気や採光に役立ちます。この手法は、後に、茶室の「下地窓(塗り残し窓)」となって現在でも見ることができます。

茶室の下地窓が生まれる前の民衆の下地窓は、縦横に趨る格子状の竹や葦の小舞下地を塗り残すことでした。草案茶室の創始者の千利休は、この民衆の建築に、思いを馳せ、下地窓のみならず、荒壁をも壁の意匠に取り込こみました。貧しい民衆の掘っ建ての建物は、草案茶室の美に対する新たな意匠として昇華されたと思います。

下地窓とは、その部分だけ壁を塗り残して、窓下地の小舞をそのまま見せるもので、方形が、縦・横の寸法が異なることが多いものです。この寸法の変化で、従来の機能的な役割である風炉先窓から、室内の微妙な明暗を演出させる効果ができます。利休の居地である和泉や河内では、葭が多く割竹でなく葭を蔦で絡める手法でした。葭は割竹より空きが大きく、軽快で風情に富むという利点があったからだといいます。

下地窓の葭は、皮付きを使用し、外側を縦、内側を横とし1~5本を不揃いに配列し藤縄で掻きます。下地窓の周囲の仕上げは、土壁で縁を丸く塗回す蛤面(はまぐりめん)とするか、平らに塗回します。周端は、室内側には、掛け障子、片引き障子・引き分け障子などを入れます。下地窓の別名として「掻き差し窓(かきさしまど)」、「塗り差し窓(ぬりさしまど)」、「塗り残し窓(ぬりのこしまど)」、「入子壁(いりこまど)」があります。

img002-1杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。電話03-3398-4335    http://s-kent.jp/contact/

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