左官一服噺 歴史○明治時代の石膏(めいじじだいのせっこう) Gypsum plaste of the Meiji era 49
我が国の石膏の原石は、採取量が少なく、明治初年から輸入され、輸入に頼っていました。その結果、漆喰の左官仕上げは、多種多様に各地でみられますが、石膏が左官材料として本格的に使用されたのは昭和戦後になってからです。明治期の石膏で、使用される目的は、主に薬用、ランプの口金用等でありました。
我が国で初めて焼石膏の工場を設立したのは、金沢吉兵衛という人で、明治17年のことでした。金沢吉兵衛はドイツ語のGipsを“義布斯”と音訳の当て字を使用して製造販売を開始しました。
高村光雲の幕末維新懐古談によると、「何んでも『脂土(あぶらつち)』といって幾日|経(た)っても固まらない西洋の土を使って実物を写すので、その土は附けたり、減らしたり自由自在に出来るから、何んでも思うように実物の形が作れる。そうして今度は、その出来た原(もと)の形へ「石膏」という白粉(おしろい)のような粉を水に溶いたものを被せ掛けて型を取るのだそうな。だから非常に便利で、かつ原型そっくりのものが出来るということだ。」と、あります。このように石膏を輸入に頼る明治期に、左官職人が、石膏を使用して壁塗りに使用することは、少なかったと思います。一部公共建築の蛇腹や中心飾りに石膏に石灰を混入して使用していた例が見られます。また、ある文献によりますと、石膏貴重なもので、石膏の保存は、木箱の内側にプリキを張り、湿気防止をして丁寧に扱っていたそうです。
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