左官一服噺 道具○左官道具 (さかんどうぐ)Plastering tool 37
左官道具とは、左官作業に使用する鏝等の総称となります。日本人にとって「道具」とは仏教の祭具を指しての語であるといわれています。その後、仏具を意味していたのが「道具」という現在のように一般用語として使われるようになったのは、中世期といわれています。茶道具、剣道具等と呼ばれるように、芸事、武術等がそれぞれの「道」として行われるようになってからで「道に具(そな)えるも物」とみることができます。
日本人にとって道具とその持ち主とは精神性の繋がりが多分にあり、鏝も当然その部類にあります。例えば日常に使
用する箸や茶碗は、自分の分身的なもので決して家族といえども使用さたくなくないものです。鏝も同様で、自分が使いこなした鏝には魂が宿っており、侵されたくない領域で、他人に貸すとか、借りるという行為を忌み嫌うのであります。
我が国の道具は欧米の道具と比較した場合、欧米では合理性が尊ばれ道具が人間に合わせようとしますが、我が国では人間がその道具にいかに近づき、こなしていくかの精神性が尊ばれます。その道具を使いこなすためには、修練、鍛錬という修行が伴うものです。
左官道具もその精神性とともに、各地の材料・工法の違いや、土地に合った形で左官職人とその道具を造る鍛治職人が淘汰していきました。歴史的に刀鍛冶が活躍した明治以前では、刀鍛治が手暇なときは道具鍛治をして生計をつないでいました。刀鍛冶は火を扱いますが、この火には刀鍛冶にとって、経済性、防火性からも火を落とすことは生命線でもありました。そのため火を落とさないためには、刀鍛冶が道具を打つことが経営的基盤からも必要な条件でもあったのです。そこで考えられることは、刀鍛冶は同時に道具鍛冶であり、鏝を打つ場合には意識的に日本刀に類似させていたとも思われることです。まして、明治期の廃刀令により、多くの刀鍛冶が道具鍛冶へと移行するなか、日本刀の切っ先と鏝先を、機能性のみならず意匠性からも意識するようになったと思われます。日本刀が鍛造の完成された最高の技術であるとするならば、それに携わる刀鍛冶が左官の道具鍛冶に移職した場合に、彼らは日本刀を眼中において鍛造してきたであろうというのが理由です。
明治以後の左官自身は、外来の新様式が導入されることによって、次々と左官技術がそれに追いすがり、新技術を成し遂げていきました。それには、当然、新しい欧米の様式に見合う鏝の開発が不可欠でありました。
新工法に則した左官道具を使いこなす事により、左官道具への要求も強くなり、個性的な展開もしていくことになます。そして要求に満たされ、使いこなさせた左官道具の鏝は左官職人の手そのもの、身体そのものになって完成されていきます。
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