左官一服噺 構法○木骨石造構造(小樽) Half-timbered stone structure (Otaru) 29
旧名取高三郎商店
明治39年の建築で、木骨石造り2階建てです。外壁に軟石を張り、両袖に卯建を建て、窓に土塗りの防火戸を付け、屋根が瓦葺きであります。角地にあるため、建物が2方に開けていて、2階の石壁に対して1階部分が開放的に構成できたのは、木軸組に石を貼り付けた木骨石造という構造ならでの技術であります。
木骨石造建築とは厚さ三寸(約9㎝)以上の石や人造石、コンクリートで木骨を被覆するか、充填して外壁を構成するものです。この構法は北海道小樽市で、現在でもみることができます。
小樽の町の第一印象は落ち着いて、軟石の暗灰色で重きのある色合いにあります。これは未だに存在する石造建築に裏付けられています。大小の倉庫にはじまり、商家や初期の事務所建築に、石造構造が普及しました。ここでの石造建築は、木骨石造構造という独特なもので、木骨を石板で覆うか充填するもので、木摺板や軸組に厚さ15㎝ほどの切石を鎹で留めたものであります。切石の厚さからすれば木骨石張というより木造・石造の中問的な構造に近いと思われます。
木骨石造といえば日本では、幕末から明治初めにかけて、開港場建築を中心に、多く取り入れられたことが知られています。しかし、それらは主に洋風石造建築の見えがかりを追求したものといえます。それに対して小樽の場合は、木骨石造の二面性、すなわち木造建築に石造のもつ耐火性・防寒性・耐久性、また石造建築に比較して工期の短さを兼ね備えているので、小樽商人たちの経済合理性が追随したものとおもわれます。その理由とするところは、小樽が明治37年大火にみまわれ、ほとんど焼け野原となりましたが、木骨石造倉庫だけが焼け残りました。この教訓を元に商人たちは、木骨石造建築を選びますが、洋風ではなく、従来の土蔵和風町屋に近い意匠で造られました。
この外来の構法である木骨石造建築が小樽に定着した理由には、商都小樽の急成長による防火建築への需要とそれをつくりうる財力が備わっていたことによります。また、材料となる小樽軟石と呼ばれる石材が周辺で産出され、構法的にも伝統的な土蔵造りと似通っていました。しかも土壁のかわりに石壁を使うことで、寒冷地での施工や工期短縮にも、繋がったことなど、技術的な条件もあます。小樽軟石は凝灰岩で、その材質感が見世蔵に用いる鼠漆喰のような質感があったことも理由の一つしてあげられます。
構法は室内側に木で骨組みを造り、外壁に石を張るか、積む構造で、木と石は鋼(はがね)の両端を曲げ、先を尖らせた「鎹」でつないでいます。小樽に誕生して40年近く商人の街をつくり、財産を守ってきた木骨石造の建物は、その後、都市防火建築としての役割を最新式の鉄筋コンクリート造にその席をゆずるのです。
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