左官一服噺 歴史○擬洋風建築(tracing western-style building)76
擬洋風建築(ぎようふうけんちく)とは、建築様式の一種で洋風に擬(なぞ)られた建物と、解釈できます。洋風建築に似せた建築で大工・左官職人によって西洋人の建築家が設計した建物を参考に、見よう見まねで幕末から明治中頃にかけて多く造られました。洋風建築でも工手学校出身のような正規の建築教育を受けた大工が設計したものは除かれます。
江戸から明治と時代が変貌する中、建築構法も大きな波となって、各地に押し寄せるようになります。幕末の開港以降、外国人居留地には洋風の建築様式の建築が多数建てられました。
居留地の建築を携わる大工の棟梁が、見よう見まねで洋風の意匠を取り入れた建築を建てるようになります。この様式が擬洋風建築で、文明開化の象徴ともされるものです。
また、地方の大工棟梁が時代を伴い、敏感に察して洋風の建築の意匠や技術を巧妙に取り入れ地元に還元しています。このように工部学校で大学の建築教育を受けた建築家と現場で洋風建築を模写することで、現場に実践していく職人がいたことを忘れてはいけないと思います。
この期に擬洋風の建築が各地に見られるようになりますが、特に我々にとって、身近にあるのが、松本市にある旧開智学校や静岡県松崎にある伊豆長八の『千羽鶴の間』で有名な岩科学校であります。旧開智学校に見られる疑洋風建築物の頂点が、漆喰系疑洋風とされています。
これが一時期でもこの時代を、席巻できたのは、文明開化という、おおらかな時代がもたらしたものかもしれません。和風でない、洋風でもないもの、それを簡単に表現したのが、左官であり、左官材料の漆喰でありました。幕末から活躍した伊豆長八、そしてその弟子たちによって開花された漆喰装飾が推進役となり、漆喰系疑洋風は旧開智学校でピークを迎えます。
しかし、その後、エルデやベクマンを中心とする、本格的なヨーロッパ系建築が、この擬洋風建築を蹴散らしていきます。しかし、民衆の建物は看板建築に擬洋風の片割れが引き継がれていくという、左官の歴史の面白さがあります。
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