左官一服噺 建物○川越の見世蔵(かわごえのみせぐら)2(misegura ) 62
川越の町並みを特徴付ける土蔵は、明治26年の火災以後14年間に200棟ほどが建設されたといいます。それらを可能にした理由は、川越を例に取り土蔵造りの生産システムにあります。土蔵を建設するには、施主の財力もさることながら、左官、大工、鳶等の職人の組織が必要であります。それらが川越では江戸期より組織だっていました。川越商人たちは、左官、大工、鳶を三職とも呼んでおりました。
左官、大工は、当然でありますが、が鳶は、数年間という長期間に耐えうる足場造りに重要性があったのです。鳶職は各職、各工程に精通していなければならず手伝い人足として重宝がられていました。鳶職は、土蔵造りの最初から最後までの工程に参加するものでありました。
一方、川越は一時に大量の建築資材をまかなうだけの供給源が近くで、物資の集積地であったことも幸いしていました。例えば、木材を越生、飯能、都幾川と、土台に使用する石は火に強い伊豆石、大谷石、白河石等で産地の栃木、群馬、福島等からでありました。左官材料とする砂や砂利は、荒川や入間川で、土壁の土は井草や山中でありました。小舞に使用する竹は、川越の多賀町に桶を作る職人が多く存在し、そこを経由したことが考えられます。赤間川、入間川、荒川、利根川等の河川があり、豊かな穀倉地帯からできる稲藁は、多量の藁苆と藁縄に変身します。
入間川を中心とする流域やその周辺では、棕櫚の木が多く、農業を営まずに棕櫚を利用して雪駄を作っていた人々が多かったとされます。この棕櫚が、土蔵の樽巻きや掻き縄に利用されます。このように豊かな河川地によって材料が生産され、その河川の舟運によって材料の搬送を可能にしたのです。
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