左官一服噺 様式○草庵茶室2(thatched hut tea-ceremony room)109
有名な妙喜庵は東福寺の末寺で、その茶室待庵は国宝であります。待庵は天正10年(1582)に豊臣秀吉が明智光秀との戦いで山崎在陣時に茶室として築造し、その後に妙喜庵の境内に移築しました。移築した時期は明らかにされていませんが、光秀との山崎の合戦に勝利した後であるとされています。
待庵の壁は藁の苆を見せた荒壁仕上げ風とした切り返し仕上げであります。藁苆は、長いものが3寸程度で、寸法は不揃いでもあります。表面に浮き出た苆さは入念に摘出して壁面一体に藁苆の窪みを見せています。荒壁仕立ての切り返し壁は、一見粗野に見られますが、この窪みを見せたところが、詫人としての意気込みが感じられます。
藁苆を表面に散らした荒壁仕上げの壁は、囲まれた空間を精神性の深い茶の湯の空間に仕上げています。茶室の壁としては日本最古の部類に入るものでもあります。
利休はこの二畳の待庵で小間を求め、その有効性を試みるために「室床」といって入り隅を塗り廻しかつ天井まで塗り上げています。柱を消して入隅を塗り回す大胆な手法を通じて、二畳敷きという極限の狭さにゆとりを与えことができました。
床の正面の壁は、上部が薄く下部が厚めに塗り施しています。掛け物は帳付壁にという、今までの伝統的作法から「荒壁に掛物面白し」と言わしめ、床の正面の大平壁に掲げられた懸物を仰ぎ見るようにしないために、また風によって煽られないように「上の方は土を薄く付る、下の方にては壁の張出候様に塗る也。」とあり、懸物を矯正して見ることがないように、心にくい壁に仕上げています。
また、縦横に趨る格子状の竹や葦の小舞下地を塗り残すことによって、壁の意匠に取り込もうした下地窓(塗りさし窓・塗残し窓)は、意匠として草案茶室の美に対する新たな哲学でもあります。それは下地窓の従来の機能的な役割(*風炉先窓)から室内の微妙な明暗を演出させる効果ができるということでもあります。利休の居地である和泉や河内では、葭が多く割竹でなく葭を蔦で絡める手法を用いまいした。葭は割竹よりあきが大きく、軽快で風情に富むという利点があったからだと思います。下地窓の葭は皮付きを使用し、外側を縦、内側を横とし1~5本を不揃いに配列し藤縄で搔いています。
*風炉先窓(ふろさきまど)
点前座の向こう(風炉先)の壁面に開ける窓で、点前座に明かりを導くとともに、炉先の熱気のこもりを調整したりする役目を持つ。小間では、畳から6~7寸の高さに下地窓を開け、内側には半開きほどになる片引き障子をつける。(「平凡社大百科辞典」より
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