左官一服噺  様式○土壁( clay wall )106

葦の土壁

 吉田兼好の『徒然草』第五十五段に「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へがたき事なり・・・」とあります。

 現代の日本では、開放的な建物が好まれますが、昔から雪国の人々は夏の暑さよりより、冬の寒さから身を守る方が重要でありました。人々は、石の上に柱を建てる石場建構造にして、外周面を藁縄や蔓で小枝を格子状に組み上げて「小舞(こまい)」と呼ばれる壁の下地を作ってきました。因みに小舞は屋根や壁の下地で竹や貫を縦横に組んだものの総称です。「小舞」が横竹の水平材料で、「えつり」が縦竹の垂直材料とされています。よく「小舞」か「木舞」か、どちらが正しいのでしょうか?。と問われますが、どちらでもよいと思います。日本建築学会は「こまい」として仮名にしています。「こまい」は小間木よりの転訛したもので、「木舞」、「小舞」はいずれも当て字であります。古文書には、『古万比』ともあります。関西では「木舞」、関東では「小舞」を多く使用されているようです。

 この小舞に泥を塗って覆えば、強固な外壁となります。壁の一部を塗り残しておけば、窓となって換気や採光に役立ちます。この手法は、後に、茶室の「下地窓(塗り残し窓)」となって現在でも見ることができます。
このような建物を「埴生の宿」といいますが、万葉の時代以来いぶせき住居の代名詞でもあります。まさに、土壁の民家を文学的に表現したものでもあります。その土壁の一種である荒壁仕立てや藁苆を表した民家の手法を、数寄屋の中に逆輸入しています。これが数寄屋建築で、土壁が草庵茶室で初めて日本壁の純粋な美しさといわれるデザインになります。
 

 草庵茶室に見られる文化はまさに日本文化の本性や日本人の精神性そのものに関わるものでもあります。そこで展開される造形の精神は、その後日本民家建築の世界に広く反映されました。逆に、草庵茶室の創始者たちはその造形哲学を広く民衆たちの生活の中から学び取り、消化させたといえます。
 壁を塗ることを生業とするのが、われわれ左官職人です。その技術・技能は遠く飛鳥時代から伝承され、大工と並んでその歴史は古いものです。壁に使用される材料は、原則的に、その地方で採取できるものです。小舞材料は、一般に竹が使用されますが、北関東以北では入手の容易な葦を使用しています。

 寒冷地には真竹が成育していなかったことと、藩政時代の竹の使用制限にもよるもとされます。葦は竹より強度が弱いため2~4本に束ねて、藁縄で編み土壁下地とします。小舞を藁縄で編むことを、左官用語で「小舞を掻く」といいます。この「掻く」とは、「掻きつける」ことを意味しています。
小舞下地のままの建物は、外から射し込む光の織りなす陰影によって、得も言われぬ雰囲気を室内空間に醸し出します。

杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。

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