左官一服噺  地域○石州左官( sekisyu plasterer pledge group)100

松浦栄吉作の鏝絵「鳳凰」
島根県大田市大森町の西性寺

明治以降、左官の歴史で集団体制を布く組織は、日本の各地に点在しました。組織のなかに、名人と呼ばれる親方・職人の存在があり、建築物に付随する装飾や扁額の鏝絵の作者として名を残しています。代表される地域と名人に、岩手県南端に位置するの陸前高田市を中心とする「気仙左官」で吉田春治や、その後輩の金野清一がいます。また、富山県小杉町では「小杉左官」、「小杉かべ屋」と称され、竹内甚太郎、源造親子が有名であります。さらに、島根県に前者の二つの集団より遥かに呼び名の高い『石州左官(せきしゅうさかん)』と呼ばれる左官の一団がいます。

石州左官には、多くの名人たちがいましたが、その中であえて名をあげるとすれば松浦栄吉、栄太郎親子、井沼田助四郎等になります。そして、この地の出身である左官親方および職人は、現在でも全国各地で左官業界の中枢者として活躍しています。石州の血を受継ぐ左官の代表とされる方として阿食更一郎氏、故池本孝氏がいます。両氏は (一社)日本左官業組合連合会の元副会長、元会長として業界発展のために供に手を取り合って歩んできました。

 石州での鏝絵技術は松浦栄吉、栄太郎親子、井沼田助四郎に代表されると先述しました。洗出し仕上げでは、石州の松浦栄吉が洗い出し・人造研ぎ出しなど「松浦式人造」を開発しています。戦前に石州の左官たちは、満州、朝鮮半島に馳せ、活躍しました。この歴史的事実は『現在でも石州左官が携わった多く建築が使用され、左官仕上げは色あせずに再見できる。』という建築学会での報告書があり、石州左官の仕事の『良さ』の証とも取れます。

このように伝統的技術を伝承させることは、まず、それに伴う仕事が必要で、そこでの弟子に対して親方、兄弟子からの手ほどきが重要な要素となります。現場での左官工事の伝統技法の再現は、次を担う若手職人に取って励みになるとなり、技術・精神の両面において上向きのベクトルともなります。伝えなければならない左官技術は、日本の伝統的伝承法に導かれることが大であります。

伝承法のひとつに、『守(しゅ)・破(は)・離(り)』という言葉を使うことがあります。これは技術を身に付ける過程における順序を表すものであります。まず、第一過程の『守』とは親方・兄弟子の教えを守り、基本を大切にすることです。これは『真(しん)』と唱えます。第二過程の『破』は親方・兄弟子から学んだ技能をより高め、それを自分で熟し、さらに他の左官名人から学ぶ過程にあります。『行(ぎょう)』であります。第三過程の『離(り)』とは自分の技能を体系化させ、独自の工法を確立させて技術化させることにあります。『草(そう)』であります。

杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。電話03-3398-4335    http://s-kent.jp/contact/

Follow me!