左官一服噺  地域○小杉左官1( Kosugi Plaster 1)95

 

名越家土蔵の「波に二疋龍」 明治40 年代に製作したと推定されている。縦1.8 m(1 間)・横18 m(10 間)・厚みは18 ㎝(6 寸) になる。龍の鱗は1 枚1 枚、塗込まれ陰影がある。完成まで2 ~ 3 年を要したいという。2 階窓にある 観音扉の鏡には、「三階松」「磯千鳥」がその上部に、唐破風の庇屋根が付いている。互いに向き合う 龍は波しぶきあび躍動的である。鏝絵は壁面から15 ㎝も飛び出して塗られている。竹内源造の鏝絵は、 長八と異なり肉厚で、建物に付随して鑑賞できるように構成されている。

名越家土蔵の「波に二疋龍」
明治40 年代に製作したと推定されている。縦1.8 m(1 間)・横18 m(10 間)・厚みは18 ㎝(6 寸)になる。龍の鱗は1 枚1 枚、塗込まれ陰影がある。完成まで2 ~ 3 年を要したいという。2 階窓にある観音扉の鏡には、「三階松」「磯千鳥」がその上部に、唐破風の庇屋が付いている。互いに向き合う龍は波しぶきあび躍動的である。鏝絵は壁面から15 ㎝も飛び出して塗られている。竹内源造の鏝絵は、長八と異なり肉厚で、建物に付随して鑑賞できるように構成されている。

日本海の荒波を望みつつ、加賀金沢から越後高田へ、北国街道、越中路です。冬は雪に閉ざされ、北陸随一の難所親不知しらずに経る街道ではあるが、古くは京都・江戸から佐渡国府へ通じる要道でありました。その街道筋の小杉新町は、富山と高岡の間に位置し、江戸時代には加賀藩の宿駅指定を受けていました。現在は、富山県中部の西寄りに位置した射水(いすい)郡に属していた町で、 2005年、市町村合併により射水市となりました。その、富山県小杉新町では、江戸時代から優れた左官が多く育ち「小杉左官」、「小杉壁屋」とも言われていました。

 江戸時代には宿駅・宿場町で、市場開設が認められており、礪波、射水両郡を支配する加賀藩の郡奉行所が置かれていました。これらが、地域の交流センター的役割を果し、文化的刺激を受け、吸収する機会が多く、独特の学芸・文化をもたらすことになります。

 また、この近辺では、多くの名工が輩出されており、地理的影響を見過ごせません。小杉に近い東岩瀬港では、北前船の集積地として、明治中頃から大正時代にかけ、豪農や北前船の回船問屋で財をなした家の土蔵などに、芸術性の高い鏝絵が数多く施されたています。井波市では、加賀藩の拝領地として伝統のある町で、大工の数のみならず、名工も多く、特に清水組の二代目で堂宮大工の清水喜助を輩出した町でもあります。

杉並の左官です。塗り替え、リフォームお待ちしています。電話03-3398-4335    http://s-kent.jp/contact/

 

 

Follow me!