左官一服噺  歴史○墨壺の歴史(The history of the ink-pot)70

墨付け作業。春日権現験記絵巻より

墨付け作業. 「春日権現験記絵巻」より

墨壺(すみつぼ)はピラミッドが造られるころには、すでに存在していたようです。墨を使い、墨を浸ける壺、糸、糸を巻取る部分を一体として墨壺といいます。

道具にしたのは中国ともいわれています。伝説的な工匠「魯班(ろはん)」が発明したという言い伝えがあり、墨壺を「墨斗(やたて)」、「墨廂」とも著します。

墨壺は墨を付けた糸で線を引く道具で墨差を利用して記号を描くことができます。日本では法隆寺の建設当時の材木に墨線が残っていることから、この頃からすでに墨壺が存在したと考えられています。正倉院には墨壺が二つ収められています。万葉歌人で有名な山上憶良は、まっすぐな様を「墨縄の延(は)えたる如く」ともいっています。

墨壺、墨差、サシガネ(曲尺)は、大工道具のなかでも、縁起ものとしてもっとも重視されていました。

墨壺が携帯用となって変化したものに「矢立(やたて)」があります。ふたのついた墨壺と短い筆を入れておくものが、一緒になったものです。テレビの時代劇では、外で腰に下げた矢立を取り出し、俳句をさらさと短冊に書きたり、御用聞きが注文の品物の名前を書きこんだりしている場面が見受けられます。

墨壺に使用する材料は、「桑(くわ)を以て上となし、欅(けやき)がこれに次ぐ」とあます。現在では欅が多く使用され、プラスチック製のものもあります。

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