左官一服噺 建物○築地ホテル館(Tsukiji Hotel) 65
築地ホテル館は、江戸幕府終焉の時期に、清水建設の二代目清水喜助によって建設されました。設計がアメリカ人のリチャード・ブリジェンスで、建設場所が、紀伊・尾張藩の屋敷地で海岸に面しており、後に軍艦操練所になります。
このホテルは、間口が41間(約73.8m)、奥行40間(約204.8m)高塔上まで約94尺(約28.2m)の大建築でありました。
建築の建坪は730坪(約2409㎡)で、その他平屋建ての部分が128坪(約422㎡)でありました。構造は木造板瓦張りで、外壁が海鼠壁でありました。
ここで、海鼠壁が使用された理由の一つに、当時の日本家屋の欠点ともいえるすきま風と火災を考慮していたことです。海鼠壁は、我が国独特なものですが、瓦の黒と漆喰の白のデザインが、どことなくエキゾチックに感じさせます。
大正3年に発刊された日本建築学会の建築雑誌「築地ホテル館考」で、大熊喜邦によると、築地ホテル館の内部仕上げに関して以下のように著されています。『当時、このホテル館を見学した有坂某の談を綜合すれば、内部は主として白漆喰を用い、室内には往々壁紙張りとした部分があり、各所に壁炉を備えてその前飾は黒漆喰として蒔絵を施し、壁には簡単な緞帳を懸け、木部は多くペンキ塗とした様子であった。』とあります。
注目したいのは、内壁が「漆喰仕上げ」であったことです。そして各所に「壁炉」が備えてあるということは、暖炉があり、その廻りの仕上げは、石張りの変わり黒漆喰で、蒔絵が施されていたことです。想像するに、この時期すでに、漆喰の磨きで石張り風に仕上げろという、左官の技術が存在していたということです。
江戸末期の左官工法で、漆喰仕上げや黒漆喰の磨き仕上げの応用がここに見ることができます。この築地ホテル館は、明治5年2月26日の和田倉門内の兵部省からの出火により、銀座尾張町等を類焼して、このホテルも再び見ることができなくなりました。
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