左官一服噺  歴史○左官職人の正月(New Year of plasterer craftsman ) 46

昭和戦前の土蔵荒打ち 堀江弥太郎氏所有の写真

昭和戦前の土蔵荒打ち
堀江弥太郎氏所有の写真

昭和戦前まで色濃く残っていた職人及び弟子たちの普段の生活でありますが、休日は俗に云う「盆と正月」で1月16日と7月16日の藪入りぐらいとよく言われています。しかし、実際には元旦、町内の祭り、天候の悪い日も休日がとられていました。また、毎月の定まった休日がとられ、1日と15日としていました。その日には、赤飯が出され、神棚には新しい榊(さかき)で祀(まつ)っていました。現在でも業界の中には、1日、15日に神棚に榊を祀り、赤飯が出されるところもあります。給金はその月の14日と晦日の30日と2回に分けて支払われていました。

正月の2日、4日、11日のいずれかの日に「仕事始め」といって儀礼的な労働を行い、1年間の仕事の安全と成功を祈っていました。また、正月には道具類に鏡餅を供えて、「道具の年取り」をして感謝していました。道具を大事にすることは今日の比ではなかったようです。

特に徒弟期間中の小僧と呼ばれものは、親方から生活の衣食住の一切がまかなわれていました。「御仕着(おしきせ)」と云われる衣服を夏冬2回と、若干の小遣いが藪入りと云われた年2回の休暇(正月、七月の16日のそれぞれ3日間)に合わせて与えられていたそうです。落語の「薮入り」では、その場面が良く出ています。

正月前の暮れの仕事は、連日に続く夜なべ仕事です。冬場であるため、あかぎれだらけになって、荒壁を裸足で捏ねたことという、苦労噺を先輩職人たち、よく聞かされました。

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