左官一服噺 建築部位○土斎床(どさいどこ)(tokonoma of the soil)31
千利休が秀吉の勘気に触れ自刃したのち、会津藩主の蒲生氏郷のもとに身を寄せた利休の嗣子千少庵は、許され文禄二年(1593)に帰京し千家を再興しました。その子の宋旦は茶室での試みと共に創意としたところは「土床(つちとこ)」にあります。
宗旦の室床は利休の室床よりより積極的にし、框の所まで土で塗り、土に覆われた床構えの極致に達したものです。この土床を可能にしたのは、土斎という宗旦の弟子でありました。宗旦は土斎を信頼して、出入りの許す左官職人でありました。
「茶人系譜」によると「土斎これは宗旦時代の茶にて、侘茶を好き、千家出入りの職なり、俗名を市助といふ、宗旦気に入り数寄者にて、市助といふ銘を宗旦作の茶杓、又ノンコウへ申付られ赤茶碗一つ送らる。則市助という銘あり、今雲州公に納る。又茶亭を土庵と号、清巌和尚宗旦より建て贈らる、二帖なり、先ほど京の大火のとき消失せしとなり。」とあります。
茶人としての土斎は記録に存在するが、左官としてのその名が文献にはありません。しかし、宗旦がデザインした壁はこの土斎(市助)が渾身こめて壁を塗ったに違いないことが上記文面から伺い知ることができます。茶人と左官職人が師弟関係の域を超越して、茶室の壁に向かって行った姿は、明治期のお雇い建築家と左官漆喰細工師の関係に思いを馳せるのは私だけでしょうか。
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